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「教育 」カテゴリ記事一覧


教育方針2「精神、魂の欠落」

我が国の教育を顧みれば、ここ数十年をみても何回も教育方針はその都度大きく変化しています。
端的に申しますと戦前は愛国心中心の全体主義的な教育でありましたし、また戦後の高度成長期には個性を尊重しない画一的な「詰め込み教育」であり、それで問題があればすぐに転換して、近年の10年は個性を重視した「ゆとり教育」であります。また「ゆとり教育」が近年になって問題があるので再度見直されようとしています。教育方針がころころと変化していくような国がどこにあるというのでしょうか?これほど一貫していない教育方針はありません。言い換えれば国の進むべき進路が決まっていない気がします。
本来、国家の責任における教育とは一貫した方針があるべきで、どういう人間を育て、また我が国をどういう国家にするのか?そういう基本的な問題が教育方針で論じられるべきであると思うのです。
また教育基本法の改正も安倍内閣の大きな課題であります。
私は戦前の教育勅語の全てを肯定するつもりはありませんし、正当化するつもりはありませんが、教育基本法の中に教育勅語のような教育の「精神」「魂」の部分が欠落していると思っています。今こそ基本的な教育の背骨である「精神」が必要であると思っています。
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教育方針1「英語と日本語」

安倍内閣が誕生して早速にも小学校からの英語教育をめぐって議論がなされています。
はっきり申し上げて基本的な議論が出来ていないように思っています。初等教育において英語を重視するのか?また日本語を大切にするのか?議論は様々でありますが、当然のことながら結論は両方大切であります。
ここで私の言う「基本的な」とは、なぜ英語と日本語(国語)のお互いの重要性を認めないのか?ということである。どちらが大切かなどと比べるものではありません。二者択一的な議論はすべきでないと思います。
現在の教育は「ゆとり教育」なので限られた時間の中で全てを教え、選択しようとしますが、大切であれば全体の教育時間を延ばしてでも子供達に教えるべきではないでしょうか?
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家庭教育「教え育てる」

教育のことばかり申しますが、今まで学校教育こそが教育だと思っている人が多いと思いますが、前途しましたように学校と家庭の教育の役割を明確にすべき時代になっていると思っております。
近年のアメリカやヨーロッパ各地では、教育は学校がするべきものだと考えている人は“後れた人”だとも言われています。
あらゆる教育家、教育学者は教育の基本は家庭教育であり、学校教育は家庭教育で出来たものを受けてそれに手入れをする所だと言われています。
しかし乍ら日本の教育の目的とは、子供たちを「どんな学校に入れるか?」「どんな会社に就職させるか?」が最終目標に置かれている気がします。上質の教育とは名門に入学すること、と勘違いしている人が多いと思います。
そもそも教育とは読んで字のごとく「教え」「育てる」という意味であり、どういう人間に育て、如何にあるべきかを目的とすべきであります。
不正を働き、他人を犠牲にして造り上げた地位や財産等その人の手段としての能力や社会的には評価できても、人間として絶対に評価できるものではなく、むしろ恥ずべきことであると思うのです。
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ゆとり教育の失敗2「選択権、自由と責任」

ここで問題にしたいのは、公立学校と私立学校の根本的な違いを考えて見たいのです。私立学校はいわば民間企業と同様で競争に負ければ廃校(倒産)してしまいますが、公立学校は少々児童が減っても絶対に廃校(倒産)することはありませんし、先生も同じであります。
私立学校の先生は人格に問題があったり能力差や、生徒に人気がなかったりすると即刻、退職等に追い込まれますが、公立学校の先生は刑事事件を起こさない限り、基本的にクビになることはありません。公の学校全ては競争の全くないところに保護されているのです。永年競争原理から隔離された学校はその機能を失いつつあります。つまり公立は私学よりもハード(校舎、体育館等設備)な面を除けば、ソフト(教育内容、先生の資質等)の面で劣ってきているのです。
高級官僚等、経済的に豊かな人はやはり環境の良い私学へ進学させるのが当然であります。そして私学を選択する傾向は教育の荒廃や低年齢化に伴い、その選択が低年齢化を加速させています。つまり上質の教育を受けさせる為には幼稚園を選択し、受験するのであります。
そろそろ公の「保育所」「幼稚園」「小学校」「中学校」も全てを画一的に考えるのではなく、私立並みに競争をすべき時代にきていると思います。
そこで親と学校の責任の所在を明らかにし親が選択権(自由と責任)行使すべきではないでしょうか?
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ゆとり教育の失敗1「公立教育の意義」

教育について色々と申しますが、ゆとり教育の導入後、学習内容の削減が基礎学力の低下原因という批判や否定的な意見が圧倒的に多いと思われます。少数ながら、学力低下の原因がゆとり教育だけと決め付けてしまうのは難しく他にも原因があるのではないか、等の意見もあります。
しかし、考えて見て下さい。週34?36時間勉強しているのと、30時間しか勉強していないのとでは明らかに数時間の差が生まれるのは当然でありますし、この数時間の差が数年積み重なれば大変な学力の差につながるのは必至であります。
ゆとり教育による学力低下を意識した結果、学習塾に通う生徒が増えるようになり、むしろ時間的なゆとりは減ったとの指摘もあります。
漢字の読み書きの出来ない高校生が増え、映画等の字幕でさえ判りやすくひらがなや、言い回しを変える等の変化があります。ゆとり教育とは、考えさせない事による時間の“ゆとり”なのかもしれないとさえ思えます。
公立学校に失望し学習塾などに実効ある教育を求める風潮は以前よりありましたが、保護者の経済力が児童の学力に直接的な相関を持つという点で、公立教育の意義を失わせかねない由々しき問題に発展しており、ゆとり教育を発案・推進する文部科学省等の高級官僚のほとんどの子弟をゆとり教育の影響を受けない私立学校に通わせているという一説があります。
理想と現実という事でしょうか?
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